留まる決意が引き連れたフラメンコ【カミーノ巡礼記休息日】

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もはや今日が何曜日か分からなくなった。そういえばほかの巡礼者からは「日曜日には気をつけてね」となんども聞かされていたのだった。よほど大きい街でなければスーパーや薬局は閉まるから買いたいものが買えなくなる。確かに今後小さい街が増えてくるから、薬局や巡礼用品で欲しいものがあれば今日中に購入しておいたほうがいい。まずは巡礼のガイドブックを手に入れたかった、Saint-JeanでもらったものはあくまでもA4白黒のコピー用紙だったから、地図の詳細や工程の情報が掲載された冊子があればいいなと。

本屋さん、アウトドア用品店を探し散策していると偶然、巡礼用品専門店を見つけた。店内にはTシャツや靴下から、ピンバッジや貝殻などお土産に関するグッズも取り扱っていた。もちろんガイドブックもある。何に使うかはわからないけれど小さな日本の国旗を見つけたので、ガイドとともにレジに持って行く。確かこの先の巡礼地点で、国旗の布を結びつける丘のような場所があったのだ。

街をぶらぶら歩く。「今日は巡礼をしなくていいんだ」と思い安堵の気持ちと、「これまで共に歩いてきた皆にもう会えない」という不安が宿った。もしこのまま今日も歩き進めていたら皆と一緒にいられたかな、でも巡礼なんて誰かと一緒のものではなく、自分一人のもの、ましてや共に歩く約束をしたわけではない。そんな相反する気持ちが交互に折り重なる。空は快晴で、心地よい風が吹いている。

買い物を済ませ、気になっていた大きなカテドラル。現在は美術館となっているようで、巡礼者は通常の旅行者よりも安価で入場できる。MUSEO CATEDRAL D PAMPLONA、IGLESIA DE SAN SATURNINO。圧倒されたのはその天井の高さと空間の広さ。狭い入り口を超えた先に広がる世界はまるで重力を超えた宇宙のよう。いつも教会に入ると外と内の世界の区切りを体と心で感じる。神社も同じで、神聖な場所に立ち入ると電磁波が飛んでいるのではないかと思うほど、強い念が広がっている。

このカテドラルは5世紀にキリスト教徒によって建築が開始された。(HISTOIRE DE LA CATHÉDRALE DE PAMPELUNE) 715年にはイスラム教徒の侵略があり大聖堂を破壊されることもあったそう。今から1500年以上前の人々の祈りが詰まっていると想像し、ふと柱を触った。柱は15世紀のものだったが、それでも心に強く訴えるものがあった。ひんやり、なのに、強くたくましい。

一通り聖堂内をめぐる。軽装の巡礼者が祭壇の前で語り合っている。私も椅子にぼんやり座ると、やはり、なんとしてでもSantiago de compostellaに辿り着きたいなと考える自分がいることに気付く。昨日まで心細く自信を失い、歩く辛さで挫けそうになっていたのに、ひらひらと舞い降りた前向きなメッセージ。Santiagoのカテドラルをこの目で見たい。時間はたっぷりあるのだ、誰と競ったりするわけでもなく、無理をせずに自分のペースで行けばいい。大丈夫、きっとできる。

路地は観光客で賑やかだ。街を楽しむために2泊したのだからと、適当にバルを見つけて入店。LA ESTAFETAで注文したピンチョスと赤ワイン。バゲッドの上にごろごろと乗っかったハムやベーコン。味付けがしっかりめで、2つで満腹になった。他の種類はまた次回訪れた時の楽しみにとっておこう。にんにくの風味がきいたおおぶりのキノコはこの土地特産のものなのだろうか、ジューシーですごく美味しかったな。

注文時にこれをください、と英語で話すも、ついフランス語が口から出てしまった。すると店主のお父さんが「娘がフランス語話せるよ」と言い彼女を呼ぶ。ワイン棚の近くにいた小さな女の子、私の注文を丁寧に聞いてくれた。どこでフランス語を覚えたの?そう尋ねると、学校でね、と流暢に話しながら、テキパキと料理を準備する。

ほろ酔い気分でホテルに戻ろうとすると、市庁舎前でフラメンコフェスが開催されていた。ちょうどオープニングの時刻だったようだ。大勢の観客の声が上がると同時に、演奏者や歌手はバルコニーに登場し、ギターの弦の弾ける音が一音、一音広場に響きはじめる。太陽のように強く激しい弦の音に、覆いかぶさる男性の太い歌声。聞き惚れるほどのたくましいメロディ。

日差しが強くなってきたので、後ろ髪引かれつつホテルまでの道を歩いた。離れてもフラメンコは路地を伝ってどこまでも聴こえてくる。今日Pamplonaに泊まらなければ、私はこの歌を知らないままだった。街が私を引き留めたのは、カテドラルにしろフラメンコにしろ人間が築き上げてきた文化と歴史を、しっかり見届けなさいということなのかもしれない。

巡礼中は全ての偶然を受け入れたい、その偶然を慈しめるようでありたい。この街での休息日は身体の静養ではなく、心に栄養をたっぷりと注いでくれた。明日は早起きして、街を出よう。少しでも前に進んでいこう。

◾️24/08/2017, Pamplona, le jour de repos, 6,926歩◾️