今日で巡礼10日目!そして歩き始めて217kmを達成し、残り566,5kmとなる。
最初の街Azofraを越えるまでは平坦な道のり。そこからRioja Alta Golf Clubまでの山を超えたら青空が広がっていて、歩いていて気持ちがいい。吹き抜ける風邪は爽やかで暑さも落ち着いてきたし、坂道も段々と辛くなくなってきた。日数で計算しても通常の到達日数が34日というから、全体を通じてみれば1/3弱は達成したということだろう。いつも使っているミシュランの小さなガイドブックの辿った道のりを見れば、客観的証拠となって自分自身に「大したものじゃん」ともいうことができて、少しだけ誇らしい気持ちになる。
道の途中は昨夜ミサ情報を教えてくれたイタリア生まれオーストラリア育ちのピーターと一緒に歩く。彼は出会う人皆に声をかけていて、そのおしゃべり好きなところに、たっぷりとイタリアの遺伝子が組み込まれていると思わずにはいられない。どうしてオーストラリアにいるの?と聞くと、彼の両親が、戦後イタリアには仕事がなくオーストラリアに移住を決意したとのこと。歴史のダイナミズムを乗り越えた人たち、彼らのorigineにまつわる話は興味深い。
フランス人のブノワとも出会った。フランス人は謙虚さを持ち合わせている紳士な人が多い。話し方が少し控えめで、踏み込み方が丁寧。オーストラリアやアメリカの人たちはもっと大胆で、太陽のような明るさがある。Caminoに限った話かもしれないか。
Rioja Alta Golf Clubの近くではふたりの日本人の女の子に出会った。関西に住む大学生で現在は夏休み期間のため歩いているそうだ。若い子に出会うと、この巡礼路がなにも定年を迎えた男女の余暇、楽しみ、というわけではないと改めて感じる。自分の世代の人にはまだまだそう出会っていないけれど、例えば2日目に出会ったスペイン人のアルベルトと、昨日のヴァンサンくらいだろうか。
Santo Domingo de la Calzadaに到着する手前のこと。最近はずっと韓国人のお母さんと街に着くタイミングがあうので、今日も泊まる街やそのアルベルゲについての話をする。「今日はどこに泊まるの?」と尋ねる。「これを見て、今日は昔の修道院を改築した宿があるんだよ」とわたしに見せてくれたのは巡礼に役立つ情報が詰まった有料アプリだった。多言語に対応しているようで、たしかにガイドブックよりもかさばらなくて良い。Caminoの市場や、いろんなサービスがあるんだなと感心。
たしかに宿は歴史の重みが感じられる建物だった。入り口も小さく狭かったけれど、靴を脱いで階段をあがれば部屋は複数ありコンパクトにまとめられている。フロアの食事スペースは広いし、そこから中庭に抜けられる。洗濯物を洗っているととなりには体の大きくていかついスキンヘッドの男性。話してみるとアイルランド人だった。名前はジェームス。
いつか行ってみたいと思っていたアイルランドという国。これは良い機会だとアイルランドについて色々と尋ねてみる。「美味しいビールが飲みたい」といえばギネスの博物館(ギネス・ストアハウス)に行くといいよ、製造過程を知れるし、その場で出来立てを飲めるからね、だそう。
「そういえば今日、日本人に会った。」彼はいう。ジャーナリストか新聞記者みたいな奴だった、大きいカメラを携えていたな。ほら、あそこにいるぜ。目の前の洗濯物からを視線をあげて、斜め後ろに顔を向けた先、ひとりの男性がいた。巡礼に似つかわしくない美しい身なりの、品格のある男性。首からは重たそうな高級なカメラ。そして本当に歩いてきたのだろうかと思うほど服が汚れていない。わたしは少しあっけにとられた。
はじめまして、と挨拶をする。こういう時、自分の思考方法がヨーロッパの空間にいながらも一気に日本の空間に引き戻されるので面白い。そのスイッチングに言語もむしろたどたどしくなってしまう。彼はいう。「はじめまして」「そういえば大学生の女の子たちにあなたも会いましたよね」「彼女たちにも声をかけたのでぜひ夕食を一緒にどうですか」と誘ってもらい、夜に改めて待ち合わせをすることにした。
待ち合わせ時間までせっかくだからとCathedral of Santo Domingo de la Calzadaの教会を散策。素朴な美しさの中に凛とした強さがある教会だった。そこには巡礼者の像も飾ってあった、自分もまたこの姿の一人なのかなと想像する。この道を、はるか1000年以上前から様々な人たちが歩いていたんだと考えると頭がパンクしてしまいそうなほどの情報量がある。同じ景色を眺め、同じ大地を歩み、同じ目的でサンティアゴに向かう。その道に乗っかってしまったのならば、歩く機会を与えられているのならば、ますます、今やり遂げなければという気持ちが強くなる。
夕食は「Restaurante La Cancela」で。巡礼が始まって一番まともな食事をとったのがここだったから久しぶりのレストランの高級感に感動した。そして大学生の女の子たちもその食事を喜んでいたし、彼女たちの就職活動や今後の話を聞いて、人生はこれから、未来が希望に満ちているんだなととても嬉しい気持ちになった。さらに夕食に誘ってくれた男性がリストを見ながらワインを選ぶ様はとにかく美しかった。誰かに似ている、誰だろうと必死で脳に詰まった情報を整理してみる。
わかった…!村上春樹の「騎士団長殺し」に登場する免色さん、である。色を免れると書いて免色。実在するわけではないし作品を読んだ上での私の想像上の架空の人物なのだが、免色さんにそっくりだった。(以後免色さんと呼ぶことにする)。免色さんは日本社会における成功者で相当なお金持ちだった。話を聞けば聞くほど、彼に出会えた幸運というか確率はとんでもないものだと理解した。絶対に日本で生活していたら遭遇することのない、遠くの雲の上の存在の人だった。
修道院のアルベルゲは門限があり、お店をでなければならない11時前頃。わたしもお会計を済ませようとすると、免色さんはいう。いや、いらないと。「わたしは社会人なので、自分の食事代は自分で払います」といえば「大丈夫。僕にとっては誤差の範囲内だから」と返答。食事の最後まで衝撃を受けた。すごい人だ、世の中にはこういう大人がいるんだな、まったく。お礼を伝えてまた明日会えたら、とさよならをした。
この道は世界の縮図のようだ。歩いていると世界中の人も、めったに巡り会えないような日本人にも出会う。自分自身が動かなければ世界はこちらに顔を向けてくれない、世界は何も始まらないんだとCaminoは教えてくれる。あんなにも始める前は不安だったのに、10日も経てばもう勇気はしっかり胸に溜まっている。ライトを照らしながら石畳を駆け抜け門限までに間に合ってベッドに潜り込む。心のなかは、今日の美しい出会いですっかり満たされていた。そして幸福なSanto Domingoの夜が更けていく。
▪️30/08/2017, NajeraからSanto Domingo de la Calzadaまで, 24.1km, 38,669歩▪️