孤独とするのか孤高とするのか【カミーノ 巡礼記15日目】

Camino Espagne Europe

夜が終わる色、青の行き詰まった先の先の色。朝の始まりはそんなグラデーションが広がる。朝日がのぼる反対側に広がる眼前の色はまるで夢の世界のようで、歩いていても現実味がない。死後の世界はこんな景色なのかな。歩いていると、亡くなった人たちに偶然ばったりと会えそうな気さえする。

あの先生のことを思い出した。わたしが大学時代にいちばん尊敬していた人のことを。先生の授業をゼミ生徒としてみっちり聞いて、合宿で神戸の六甲に山登りをしたり奈良の明日香村を散策して運動会に参加したり、共に過ごしたのはわずか1年半ほどしかなかった。でもそれはそれで、濃密な時間だった。

先生は61歳でこの世を去った。まだまだやり残したことがたくさんあったに違いない。病室でも論文を書き続けていた。わたしももっと、現在の社会情勢、大学卒業後の身の回りに起きた出来事について先生と語り合いたかった。でも先生を思い出すときは、彼のたましいが近くにいる証拠である。彼がこの世に存在していた事実を伝える役割は、わたしがきっと担っているのだろうな。

正面から軽快な足取りでやってきてくれたらいいのに。「おう、君はこんなところにいたのか!」なんて。

たった数分で終わってしまうこの色が永遠に続けばいい。そう愛おしく感じる。

「Hi Yumi! How are you?」といつも声をかけてくれるアイルランド人のジェームス。一昨日はランニングして追い越され、今日は自転車に乗り追い越された。びゅんと高速で先に行ってしまうものだから、こちらはいつも大声で返事をしなくてはならない。「Fine!」と叫ぶと「Good!」といって消えていく。とっても明るくて面白い人、彼はCaminoを誰よりも楽しんでいるのではないかしら。

ずうっとまっすぐの道。何もない。日差しが強くて、あつい。しかし日よけになる木陰がない。体力だけが奪われていく、次の街、村まではまだまだ距離がある。水の残りをこまめに確認するものの、十分ではない。精神的にも追いつめられていく。遠くに立つ木、太陽と青空、美しさが際立つ。そしてようやく見えた、坂道の下の集落。助かった。

部屋には一番乗りだった。シャワーを浴びて洗濯をする。昼兼夜ごはんに巡礼メニューでパエリアを食べた。あたたかいロッジのようなアルベルゲで心底落ち着く。夕方には近くの小さな教会に立ち寄る。散歩をしてアルベルゲに帰るとピーターが宿の前のテラス席に座っていた。なんだかんだ会えるものなのだ。彼のとなりにはフランス人のドミニクが座っていて、少しだけ3人でおしゃべりをする。

もう歩き始めて300kmを超えるのか。なんとなく気持ちの調子が不安定だ。イェンやスカイ、アルベルトやコーリン、ぺぺ夫妻、Los Arcosでのセルジオとラウラ、これまで出会った人たちに再び会って話がしたい。冗談を言い合ったりしたい。そんな弱音をドミニクに吐いた。そしたら、大丈夫よとにっこり。「わたしたち、ほら、三銃士”Les Trois Mousquetaires”みたいだから!」

これまで出会った人たちを思い返すのはなぜなのか。きっとBurgosで巡礼を終えた人がいる。その事実が少し寂しいのかもしれない。終えてしまえば、もう先にも後にも同じ空、同じ道、同じ畑と同じ気温と状況でのCaminoを感じられないのだ。

この弱さを乗り越える解決策は歩くことのみ。いまの気持ちを孤独とするか孤高とするかは心の持ちようなのだ。

▪️04/09/2017, TardajosからHontanasまで, 22.8km, 31,935歩▪️